望の淵 #01 永遠のGW

ゴールデンウィーク最終日の夜。

街は、明日からまた“通常運転”へ戻る準備をしていた。

駅のホームには、大きなスーツケースを抱えた家族連れが疲れた顔で列に並び、

アパレルショップの店頭には、「GW最終日セール!」の文字がむなしく点滅していた。

居酒屋の看板には“連休お疲れ様!”の文字。

誰もが、名残惜しさと諦めを背負いながら、歩いていた。

──そんな空気を避けるように、安見手 眠流(やすみて ねむる)は細い裏路地のバーに身を隠していた。

常連でもなければ、予約していたわけでもない。

ただ、会社員としての顔を取り戻す前に、ほんの少しだけ逃げ場が欲しかった

古びた木製の扉を押し開けると、鈍いカウベルが鳴った。

──Bar 狭魔(はざま)

中には、客はひとりもいなかった。

「明日から仕事だってのに……休んだ気がしないよな、GWなんてさ」

カウンター席。

安見手はスツールにもたれ、二杯目のジントニックを舐めながら、ぼそっと漏らした。

店主のマスターは無口な中年男で、ただ黙ってグラスを磨いていた。

「ずっと今日だったらいいのに……そう思わない?マスター。」

安見手がそう言った瞬間、背後から声がした。


「ふぉっふぉっふぉっ……それは、実に人間らしい願いですね」

静かに座ったのは、白衣姿の男だった。

喪服のような黒いネクタイ。スーツの上に白衣を羽織り、髭を丁寧に整えた中年紳士。

どこか異質な雰囲気を漂わせながらも、言葉と所作には一分の乱れもなかった。

「失礼、話が聞こえてしまいまして。

私、望淵 福介(もちぶち ふくすけ)と申します。日本未来科学研究所──まぁ、ちょっとした実験に関わっておりまして」

懐から取り出した名刺をテーブルに滑らせる。

望淵 福介(もちぶち ふくすけ)
日本未来科学研究所 JFSL
臨床試供課 開発主任

「……それで先ほどのお話なんですけどね、

“ずっと今日だったらいいのに”、と仰いましたね?」

安見手は少し眉をひそめたが、返事をする気力もないらしく、グラスの氷をかき混ぜただけだった。

「お気持ち、よくわかりますとも。

 祝日というのは“人生の逃げ道”です。

 でも、それが終わってしまう瞬間の絶望こそ、人間が最も無力になるひととき──」

「……あんた、誰だよ」

安見手が、ようやく口を開いた。

「日本未来科学研究所?セールスマンか? それとも……宗教?」

「ふぉっふぉっふぉ。違いますよ。私はただ、“技術の可能性”を人々に試していただきたいだけなのです」


望淵はそう言って、紙袋を軽くトントンと叩いた。

「“エターナル・トゥデイ”──これは、あなたのような“今日を手放したくない方”にぴったりの製品です」

「使えば、眠りにつくたびに“今日”をもう一度体験できる。

 目覚めても、同じ朝、同じ景色、同じ快適さが待っている……どうです? 夢のようでしょう?」

「夢……ねぇ」

安見手は鼻で笑った。けれど、グラスを置いた手が止まっていた。

「もちろん、ご使用は3回まで。それ以上は、さすがに脳に負担がかかります。

 記憶と現実の境界が曖昧になりますからね。

 ──ですが、たった3回、“最高の今日”を繰り返すことができるのなら?」

望淵はそこで言葉を切り、じっと安見手を見た。

その目には、悪意ではない。妙な“期待”のようなものが浮かんでいた。

「使い方は簡単です。いつもの枕をこちらに変えるだけ。どうです試しに?」

「……まぁ、タダってなら、試すだけならな」

安見手はそう言って、紙袋を受け取った。

「ふぉっふぉっふぉ……それでは、よい夢を。永遠の今日を──どうぞ、お楽しみください」


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