ゴールデンウィーク最終日の夜。
街は、明日からまた“通常運転”へ戻る準備をしていた。
駅のホームには、大きなスーツケースを抱えた家族連れが疲れた顔で列に並び、
アパレルショップの店頭には、「GW最終日セール!」の文字がむなしく点滅していた。
居酒屋の看板には“連休お疲れ様!”の文字。
誰もが、名残惜しさと諦めを背負いながら、歩いていた。
──そんな空気を避けるように、安見手 眠流(やすみて ねむる)は細い裏路地のバーに身を隠していた。
常連でもなければ、予約していたわけでもない。
ただ、会社員としての顔を取り戻す前に、ほんの少しだけ逃げ場が欲しかった。
古びた木製の扉を押し開けると、鈍いカウベルが鳴った。
──Bar 狭魔(はざま)

中には、客はひとりもいなかった。
「明日から仕事だってのに……休んだ気がしないよな、GWなんてさ」
カウンター席。
安見手はスツールにもたれ、二杯目のジントニックを舐めながら、ぼそっと漏らした。
店主のマスターは無口な中年男で、ただ黙ってグラスを磨いていた。
「ずっと今日だったらいいのに……そう思わない?マスター。」
安見手がそう言った瞬間、背後から声がした。

「ふぉっふぉっふぉっ……それは、実に人間らしい願いですね」
静かに座ったのは、白衣姿の男だった。
喪服のような黒いネクタイ。スーツの上に白衣を羽織り、髭を丁寧に整えた中年紳士。
どこか異質な雰囲気を漂わせながらも、言葉と所作には一分の乱れもなかった。
「失礼、話が聞こえてしまいまして。
私、望淵 福介(もちぶち ふくすけ)と申します。日本未来科学研究所──まぁ、ちょっとした実験に関わっておりまして」
懐から取り出した名刺をテーブルに滑らせる。
望淵 福介(もちぶち ふくすけ)
日本未来科学研究所 JFSL
臨床試供課 開発主任
「……それで先ほどのお話なんですけどね、
“ずっと今日だったらいいのに”、と仰いましたね?」
安見手は少し眉をひそめたが、返事をする気力もないらしく、グラスの氷をかき混ぜただけだった。
「お気持ち、よくわかりますとも。
祝日というのは“人生の逃げ道”です。
でも、それが終わってしまう瞬間の絶望こそ、人間が最も無力になるひととき──」
「……あんた、誰だよ」
安見手が、ようやく口を開いた。
「日本未来科学研究所?セールスマンか? それとも……宗教?」
「ふぉっふぉっふぉ。違いますよ。私はただ、“技術の可能性”を人々に試していただきたいだけなのです」
望淵はそう言って、紙袋を軽くトントンと叩いた。
「“エターナル・トゥデイ”──これは、あなたのような“今日を手放したくない方”にぴったりの製品です」
「使えば、眠りにつくたびに“今日”をもう一度体験できる。
目覚めても、同じ朝、同じ景色、同じ快適さが待っている……どうです? 夢のようでしょう?」
「夢……ねぇ」
安見手は鼻で笑った。けれど、グラスを置いた手が止まっていた。
「もちろん、ご使用は3回まで。それ以上は、さすがに脳に負担がかかります。
記憶と現実の境界が曖昧になりますからね。
──ですが、たった3回、“最高の今日”を繰り返すことができるのなら?」
望淵はそこで言葉を切り、じっと安見手を見た。
その目には、悪意ではない。妙な“期待”のようなものが浮かんでいた。
「使い方は簡単です。いつもの枕をこちらに変えるだけ。どうです試しに?」
「……まぁ、タダってなら、試すだけならな」
安見手はそう言って、紙袋を受け取った。
「ふぉっふぉっふぉ……それでは、よい夢を。永遠の今日を──どうぞ、お楽しみください」