うつ休職雑記③︰「生きてる意味ないな…」自殺未遂した話
さて前回、『うつ状態』になりどのような症状に陥ったのか、どのような生活を送っていたのかを書き記した。
今回は、その『うつ状態』の中で、本気で死のうと自殺未遂をした話を記す。
無意味で無価値。何の為に生きているのだろうかと自問自答
さてまずは、その絶望的な選択を決断するに当たった経緯をお話しよう。
休職し毎日毎日、怠惰な生活を繰り返し、なんの生産性もない、ほとんど寝ているだけの暮らし。
やる事といえば、ゲームかアニメを観るくらいだった。
「もう人生終わったな。」と考え、
無意味で無価値、何の為に生きているのかわからなかった。
自問自答しても答えはなく、生きがいみたいなものももちろん皆無であった。本当にただ生きているだけの、生きる屍。ただ時間が過ぎるのを待っているだけで、生きているという実感が微塵も感じなかった。
感情が無くなり、生きる欲さえ消失
とにかく全ての欲がなかった。物欲はもちろん、寝るのも食べるのさえもどうでも良かった。
何を食べても美味しいとは感じなかったし、どこへいっても誰といても何をしていても楽しいとは感じなかった。(といっても引きこもりであったが。)
唯一していたゲームやテレビ、ネットも情熱や興味をもってやっていたというよりは、それまでの延長線上で惰性で行っていたにすぎない。
ここまで来ると、生きたいという欲もなくなっていった。そもそも”生きたい”という欲なんて今まであったのだろうか?
思い起こせば、うまるちゃん(仮名)と良い関係だった時には、日中仕事をしているという点以外はこの頃とさして変わらない様な、休日はゲームやテレビ、ネットを一人でするだけだったが毎日幸せすぎた。
大切な人が、愛する人がいることはそれだけで人生に生きる意味をもたらすのだろう。
もう戻らない幸せな過去を思い出しながら、この頃、休職してから1ヶ月程で既に自殺を考えはじめた。
愛というものの全てが虚構に → 女性不信へ
当時は芸能界でも、ドラマでも、不倫ばかりが話題になっていた。私は思っていた。永遠の愛など存在しないのだなと。
これは、私自身それまでの人生でフラれたことしかなかった経験も起因しているだろう。一週間で別れた人を除けば、付き合っていた全ての人に他好きをされてフラれた。私がとんでもなくつまらない人間で魅力がないから当然ではあるが、だとしたらはじめから深い仲にならず、嫌っておいてほしかった。
こんなことを言ったら夢見る乙女と思われるであろうが、私は恋人と長い間愛し合って、年寄りになってからもずっと幸せな毎日を過ごしていけるような人生はあると思っていた。
しかし現実には、極々稀なケースなんだと感じた。特に女性に対しては以下のような偏見を持ってしまった。
・愛よりも金
→ 相手を年収で判断するからである。(もちろん生活するうえでは大切なことだが)
・簡単に心変わりする
→ 女性は結婚適齢期が男性より早いわけで、より良い相手を早く探さないといけないのだろう。
従って私がされたように、乗り換えは日常上茶飯事、ありふれたことなのだと感じた。
もちろん、嫌われる男も悪いのだが。
・結婚してからは死を願われる?
→ 旦那デスノートが流行し、また「夫」に続く検索結果もマイナスな事ばかりだ。
・隠し事や嘘がうまい(男が鈍感?
→ 男よりも確実にうまいと思う。
他の男からアプローチされててもなにも気付かなかったのだから。
女性不信、少なくとも世の中の男女関係は全て虚構に見えた。
自殺方法と、自殺の事例を調べることが日課
とにかく死にたくて死にたくて仕方がなかった。痛みもなく寝たら二度と目を覚まさないような、そんな死に方が理想であったが、しかし現実にはそんなことは起こりそうになかったのでネットで調べることにした。
首吊り、飛び降り、飛び込み、溺死、凍死、低体温死、焼死、一酸化炭素中毒、OD、失血死、餓死、毒死、ありとあらゆる自殺方法を調べた。
どれも死にきれなかった場合に後遺症が残ることはわかった。この中で圧倒的に支持されているのが首吊り。
ロープ一本で出来る手軽さと、完遂率の高さから支持されているのだろう。
辿り着いたのは非定型首吊り
前述のように様々な自殺方法を調べる中で、最も支持されている首吊りに注目していた。
・お手軽さ = 家でも出来る非定型首吊り
基本的には『うつ状態』では外出は厳しい。引きこもりでも出来ることが重要だ。そこで首吊りだ、ロープ一本で出来るのでお金もかからない。
首吊りには定型と非定型がある。よくドラマで撮影されているのは定型。高い木の枝や天井に延びる丈夫な梁にロープを結び、椅子などに乗って首にくくる。その後、椅子を蹴りとばせば足が浮き、ロープが切れない限りは高確率で死ねる。しかし都内で独り暮らし、それも狭いアパート暮らしの私には、難しかった。山奥で丈夫な木を探すという行為が無理だった。
次に非定型。こちらは腰が浮くほどの高さを確保できればどこでも可能。ドアノブやクローゼットの突っ張り棒でも耐久性さえあれば実行できる。私が可能な方法はこちらであった。ただし、定型と比べれば生き残る可能性がはるかに高いわけだが。
・痛さ、苦しさ = 頸動脈を締めれば無問題
調べる前は苦しそうなイメージであったか、どうやら頸動脈を上手く締めれば意識を失えるので、その後は意識不明の中死んでしまえると思った。
痛い、苦しいと思ったらロープを外して微調整をかけていけばいいと思った。
首吊り実行前の行動
さて、方法も決まったことだし、あとは実行するだけ。まずは部屋の整理。不要なものを(これから死ぬのだから全てが不要ではあるのだが)、片付けた。思えば『いつか使うかも』と取っていた服や薬や本、やかんやフライパンなどごみ袋にして5袋ほどを一気に捨てた。綺麗な部屋で逝きたいと思ったからだ。
その後は多少の絶食をおこなった。吊ると体内からいろいろ出ると聞いていたからだ。水は飲んでいた。
そしてホームセンターへ行き、ロープを購入。これがしかしなかなかに怪しい目でみられた。カモフラージュで他に何か買えばよかったのかもしれない。しかし当時の私にはお金もなかったし、ロープ以外はゴミとしか思っていなかったので、ロープ単体を買った。私の挙動不審さもあってか店員はかなり怪しい目線でみてきたが、なんとか乗りきれた。
遺書は誰に?そして何を?書こうと考えていたか
最後は、遺書の準備。誰へどんなことを書こうと思っていたかは以下の通りだ。
①元彼女(うまるちゃん)
→ やはり一番の病み原因となった元彼女へは書きたいと思った。当時はまだ友達として毎日ラインもしており、唯一無二の話し相手でもあった。もはや元彼女の事を忘れられそうになく辛いから自殺したいと思っていたわけで、迷惑甚だしいとは思っていたがこんなことを書いていた。
『○○へ。○○と出会ってから毎日幸せでした。友達一人いない俺と仲良くしてくれてありがとう。全てがドスライクで本当に大好きでした。叶うならずっと一緒にいたかったけどねっ。いい人生だった!』
②親、兄弟
→ 定番?かなと思い書いてみた。
『あまり仲良くできなくてごめんなさい。死んでみたくなったので死にます。親孝行は皆無で、最後まで自分のためだけに行動してごめんなさい。』
と、たった2通しか書く相手がいなく、内容もとても薄かった。どちらも上記程度のものなら書かなくて良いのがきっと正解なのだろう。ただの自己満足でしかないからだ。
いざ非定型首吊り自殺実行
いよいよ決行。紐の結び方を学び、ハングズマンノットを選択。ハングマンノット言えばジョジョのスタンドでてきたなぁなんて思っていた。
場所は部屋内のクローゼット。服をかける突っ張り棒というべきか、とにかくその棒が割りとしっかり固定してあって、高さもちょうどよかったので決めた。しっかりとほどけないようにきつく結んで、首にかける輪っかは徐々にしまるように工夫した。
何度か首にかけてみて、頸動脈を締めるように、割りと痛くならないように入念に試行錯誤していざ準備完了。あとは膝を下ろすだけだ。
ゆっくりと膝を下ろしていくと同時に首がしまっていく。膝を床から少し浮いた状態まで下げたときもはや完全に首は絞まっていた。
1分経過、まだまだ生きている。首は苦しいけど大丈夫だった。
3分経過、少し意識が遠退きそうになってきた。頭がくらくらする。
5分経過、気を緩めたらいつでも意識を失えそう。あぁこれは死ねる
8分経過、苦しい。口から泡はふくし、目玉が飛び出そだ
10分経過、ほとんど意識は薄れかけている。ただ苦しい。これまでにないくらい苦しい。顔はパンパンだ。薄れいく意識の中で、私は首の縄を外そうと両手の指をつっこんだ。”体が勝手に”という表現が正しい。
12分経過、すでに首に大分食い込んでおり、指を入れても苦しいままだ、ちからもほとんど入らない。私は最後の力を使って首のロープをほんの少し広げることができた。
『はあはあはあはあはあはあはあぜえはあぜえはあ、はあはあはあはあはあはあはあぜえはあぜえはあ、、』
少しロープが緩んだところでしばらくうごけなかった。全身の力が入らず、頭は痛く、目は少しばかり飛び出ている。充血もひどい。顔は真っ青だ。尋常ではないほどの汗をかいている。首はまだなにかに絞められているような感覚。脳は何も考えられない。
その後首のロープを外し私はベッドへ倒れた。
『はあはあはあはあはあはあはあぜえはあぜえはあ、はあはあはあはあはあはあはあぜえはあぜえはあ、』
フルマラソンを走りきったあとのような息遣いで、しばらくその場から動けなかった。
結果私は失敗した。あの時なんとか首からロープを外せたが、不可能だったら死んでいたと思う。
からだが無意識に動いた。心は既に死んでいても、身体の生存本能が働いたのだった。
生々しい傷痕、当時の日記
終わってみると、生々しい傷痕が残った。首には紐のあとが深くくっきりと、それでいれ腫れて赤くなっていた。
目は白目の部分が全て赤くなった。声は出しにくくなったし、食べ物も通りづらくなった。脳細胞が死滅したのだろうか、考えるスピードが遅くなった気がする。
悔しさなのか愚かさなのかわからないがとにかく泣いた。簡単そうで、意外と覚悟を決めないと難しい。そして死という選択をすること自体が早すぎたのかもしれない。身体が『まだ早い、もう少し生きろ』と語りかけているようだった。
改心したわけではなかった。
その後も相変わらず、私の全てだったあの子のいない世界で生きていても意味はない。と、隙あらば自殺してやろうと考えていた。
もちろんとても苦しかったので、恐怖は身体に刷り込まれ、抑止力にはなっていったのだが。
最後に当時の日記は下記の通り。
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予断だが、『うつ状態』のわたしにぴったりの歌を捧げる。
今でも大好きな曲だ。
うつソング『命に嫌われている』
気に入っているフレーズは【お金がないので今日も一日中惰眠を繰り返す。生きる意味なんて見出だせず、無駄を自覚して息をする】。