転職クエスト②:病み魔法ブラックデスマーチ!編プロマン編
前回、新卒入社した会社にて理不尽を感じ退職した私は、2年4ヶ月勤めた後異業種への転職を志す。
憧れていた出版業界だ、しかしそこで待ち受けていたのは・・・。
異業種への転職︰夢を抱き憧れの出版業界へ
一社目は60社以上落ちてから妥協で入社した会社だ、そもそも入りたい業界でもなかった。元々志望していたのはマスコミ系、なかでもタウン誌を扱う出版業界に興味を持っていた。
というのも当時の私は、暇を見つけては一人で自転車、あるいは歩いて街や観光地を巡るのが好きだった。幸いにも前職の勤務地が日本最大の観光地、京都であった為散策に飽くことはなかった。(余談だが京都は盆地である為、夏は灼熱、冬は極寒なので住むのにはおすすめしない。)
そんなこんなで、関東へと戻ってきた私は出版業界の中途採用にひたすら応募した。内定を取れたのは二社。ひとつはタウン誌の制作を手掛ける編プロ。もう一社はタウン誌の紙面デザインを手掛けるデザイン会社。どちらも携わる仕事は同じであったが、文章を書いてみたいと思っていたので編プロに入社を決めた。
1日100件以上の電話『かけてくんな!』精神的ダメージが大きいガチャ切り
まず任されたのは取材のアポ取りとスケジュール調整、校正依頼確認の電話。やるのは構わない、しかしこれが異常に数が多い。複数の雑誌制作を同時並行して行っていた為、1日100件以上は電話をかけていた。
アポ取りの交渉を行う中には不審に思って『かけてくんな!』とガチャ切りするお店も少なくなかった。これが結構精神的に来る。広告と違い、基本的にこちらからお店を紹介させてくださいとお願いする場合にはお金をとらない。なので取材の時間は取ってもらうが無料で店をアピールできるのである。しかしまるで詐欺や悪質な電話営業のような扱いをされるのだ。中には怒鳴ってくるところもあった。
10時~終電がベーシック。休日出勤あり残業代なし。同期がバックれた
もはや編プロというよりテレアポの仕事をしている感覚であった。文章が書きたいと思っていたのにこんなはずではなかったと思って日々を過ごしていた。
そんなある日やっと取材にいくことができた。何を教えられるでもなくぶっつけ本番だ。当然緊張と経験不足から私の質問が稚拙すぎて、はじめての取材先のパティシエに説教を食らったことは覚えている。
それでももっと上手くなってやろうといろんなところへ取材へ行った。だが無茶な取材スケジュールであった。同じ業界の人ならわかると思うが、1日10店舗も回るの相当なハードスケジュールだった。それをほぼ毎日行くのだ。こうなると質問を考える時間もないどころか、時間を気にするばかりで取材にも集中できない。
もちろん、下っ端であることは変わりないのでテレアポの仕事も並行して行っていた。もっとも辛かったのは、労働時間だ。毎日10時~終電まで昼休憩数十分で働くことがベーシックとなっていた。残業代は1円も出ない。休日出勤もあり、賞与はもちろん社会保険すらない。家に帰って寝るだけの生活であり、何のために生きているのかわからなくなっていた。
そんなある日、同期入社の年下の男がバッくれた。3ヶ月が経った頃であった。いよいよ嫌気がさしたのだろう。精神がおかしくなる程の過酷な労働環境ではある意味正常な判断だ。しかも時給換算したら500円もない。やってられるわけがない。
いくら取材や編集スキルが身に付くからといってカラダを壊したら二度と働けない。私も最早この会社に長居はしないとこのとき既に心に決めていた。
☆待ったなし。辞めたいときが辞め時
程なくして私は辞めた。同期のようにバックれではなく正式な手順を踏んで辞めた。なんやかんやと偉そうに無茶な指示を出していた社長からの引き止めはしつこかった。
仕事をする上で、誰しもしんどいときはある。俗にいう繁忙期であったり、プロジェクトのかけもちであったり。だがそれらには通常終わりがある。しかしここでは一年中終わりのない過労(終電&サービス残業)、これはもう苦痛でしかない。常に仕事に追われている状況では精神的に休まる時はない。
働きすぎて正常な判断が出来ないほど疲れていたり、上司を恐れて辞めるという一言がなかなか言い出せない人間は、過労死あるいは自殺にまで追い込まれてしまうことがある。
そんなことになるくらいなら待ったなし、辞めたいと思ったら即辞めるべし。犠牲になることはない。世間体も気にすることはない。辞めたらもう生涯二度と関わらないのだから、何を言われても意思を貫くべし。
後日談、私が辞めた1年後にはこの会社は倒産していたのであった。先見の明がある私。