【実話】「昭和六十五年の一万円硬貨」が存在する別の世界線から来た男の話

「昭和六十五年」──存在しないはずの元号。

昭和は64年(1989年1月7日)で終わり、翌1月8日からは平成が始まった。
これは日本人の誰もが知る、歴史的な区切りだ。

だが、2012年5月23日、茨城県つくば市で「昭和六十五年」と刻まれた一万円記念硬貨を使って買い物をした男が逮捕された。

当初は“単なる偽造通貨事件”として報道されたこの出来事──
だが、その硬貨には、説明のつかないいくつもの“異常”があった。

本記事では、その不可解な点を検証し、ネット上で囁かれる「タイムリーパー説」や「異世界からの流入説」について考察していく。


目次

事件の概要

「使えると思った」男と“存在しない硬貨”

2012年5月21日午前11時40分頃──
茨城県つくば市内のとあるコンビニで、1人の男が清涼飲料水(147円)を購入しようとレジに立った。

男が支払いに使ったのは、「昭和六十五年」と刻まれた一万円記念硬貨のような金属製の円形物体
額面の「10000」の文字、そして“記念硬貨”らしい精緻なデザイン──

しかしそれを手に取った60代の男性店長は、すぐに異変に気づいた。

「……昭和六十五年なんて、存在しない年号じゃないか?」

さらにその硬貨にはいくつかの奇妙な特徴があった。

  • 上部に穴が空いているという通常の硬貨では見られない構造
  • 明らかに“精巧すぎる”刻印
  • 材質も不明で、記念硬貨としての登録・記録もない

不審に思った店側が警察に通報。
数日後、防犯カメラの映像などから長谷川三郎容疑者(当時47歳)が浮上し、5月23日、詐欺の疑いで逮捕された。

容疑者の供述

驚くべきは、男の供述内容だった。

「(硬貨を)使えると思った」

偽造の意思を否認するどころか、「この硬貨が普通に使えると思っていた」と主張。
それはまるで、「その世界ではそれが通貨として流通していた」と言っているようでもあった──。

表面に「昭和六十五年」と記された一万円記念硬貨の模造品
画像引用元・元記事:2012年5月23日 11:16 日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2204M_T20C12A5CC0000


硬貨に刻まれた異常:昭和六十五年の”異物感”

警察が押収した“問題の硬貨”──
見た目は確かに、過去に発行された記念硬貨のように見えた。だが、その細部を確認するにつれ、誰もが首をかしげる“違和感”が浮かび上がってくる。

以下が、その主な異常点である。


存在しない年号「昭和六十五年」

昭和は64年で終了しており、「昭和65年」という年号はこの日本の歴史上、存在しない

仮に記念硬貨として製造されていたならば、造幣局の公式記録があるはずだが、同局はこの硬貨の存在を完全に否定している。

これは、誰かがふざけて作った“偽造品”なのか──
それとも、“別の時間軸”で作られたものなのか──


上部に空いた“穴”

通常の記念硬貨や流通貨幣にはあり得ない、「穴」がこの硬貨には空いていた。
古銭のように紐で通すわけでもなく、装飾とも言えない奇妙な位置と形状。

これは別の文化圏や貨幣設計思想を反映したものなのか?
それとも、意図的に“我々の世界との違い”を示すために施された構造なのだろうか?


見たことのない意匠と材質

問題の硬貨は、過去の五輪記念硬貨や万博記念硬貨などと似た金属光沢を持ち、刻印も非常に精巧。
しかしその意匠──模様やフォント、縁の形状などは、過去に発行されたどの記念硬貨にも一致しない。

また材質も不明。銀のような光沢があるが、簡易分析では既存の銀貨とも異なる組成である可能性が示唆された。


4. 「10000」の意味

“額面一万円”という数字自体は、確かに記念硬貨では存在する(例:天皇即位記念など)。
だが、その多くは限られたデザイン、明確な発行記録、そして金・銀などの貴金属製である。

今回の硬貨は、そのどれにも該当しない。
つまりこれは架空の“高額通貨”を基準とした社会で発行されたものではないかという仮説すら浮上する。


偽造にしては不自然すぎる点:目的が見えない“行動のズレ”

一見すると、記念硬貨を使って釣銭を騙し取ろうとした“単純な詐欺事件”のように思える。
だが、よくよく見ていくと、偽造犯にしては不自然すぎる点がいくつも浮かび上がってくる。


「昭和六十五年」の時点でバレる──普通、偽造なら避ける表記

最も明白なのは、「昭和六十五年」という存在しない年号をわざわざ刻んでいること。

偽造品を作るのであれば、当然バレにくくするために「昭和六十四年」や「平成元年」といった“実在する年号”を選ぶのが自然だ。

それにもかかわらず、“ありえない年号”を堂々と記した硬貨を流通させようとするのは、あまりにも非合理的で、偽造犯の行動として説明がつきにくい


偽造硬貨としては割に合わない

詐欺目的で通貨を偽造するなら、紙幣(偽札)のほうが遥かに効率が良い

硬貨は材質コストも高く、偽造しても得られる金額は小さくなりがちだ。しかも硬貨は重く、検出もされやすい。

それにも関わらず、わざわざ一枚の硬貨を作って147円の買い物というスケールの小ささも謎を深める。


記念硬貨なら売った方が儲かるはず

仮に本人がこの硬貨を「本物の記念硬貨」だと信じていたとすれば──
それをコンビニで使うのではなく、買取業者やフリマアプリで売った方が圧倒的に高値で換金できる

このことからも、「どうしてその場で使ったのか」という点に合理的な説明がつきにくい。


このように、通常の詐欺や偽造行為としては動機や行動に違和感があることから、「彼は最初からこの硬貨を“使えるもの”として信じていた可能性」すら浮上してくる。

だからこそネットでは、“彼は別の世界の住人なのではないか?”という考察が出始めたのだ──。

ネットで囁かれたタイムリーパー説:「昭和が続いた世界」からの来訪者?

不可解な硬貨。不可解な行動。そして不可解な供述。

報道を受けて、ネット上ではすぐさま「これは単なる詐欺事件ではないのでは?」という声が上がった。

特に注目されたのが、「昭和六十五年」という文字。
これはまるで、“昭和が終わらなかった世界線”から来た人物が持っていたもののように感じられる──と。


SNSや掲示板に現れた仮説たち

事件後、X(旧Twitter)や2ちゃんねる、オカルト系掲示板などで以下のようなコメントが相次いだ。

  • 「この男、絶対に昭和が続いている世界から来ただろ」
  • 「平成がなかった世界ってどんな感じなんだろうな」
  • 「硬貨が“普通に使える”と思っていたって、別の社会の常識だったんじゃ?」

一部のオカルト系インフルエンサーやYoutuberもこの事件を取り上げ、
“小さな時空のズレ”が現実社会に紛れ込んだ可能性として紹介している。


「彼にとっては当然の貨幣だったのでは?」

容疑者は「使えると思った」と供述している。

それが嘘でなければ──
彼にとって、その硬貨は“日常的に使っている一万円硬貨”だった可能性がある。

つまり、この世界の常識と、彼の世界の常識がズレていたのだ。

昭和が続いた世界線──もし彼が“あちら側”から来たとしたら

私たちの世界では、昭和は64年で終わった。
だが彼の世界では──昭和は65年を迎え、まだ終わっていなかったのかもしれない。


「使えると思った」は“あちら側の常識”

事件の中で最も印象的な供述がある。

「(硬貨を)使えると思った」

これは詐欺犯の言い訳と取ることもできる。
しかしもし、この硬貨が彼にとって本当に“普通の一万円玉”だったとしたら?

つまり──
彼の世界では昭和が続いていて、この記念硬貨が普通に流通していた可能性がある。


世界線が分岐したどこかの日本

仮説としてはこうだ。

  • 1989年、昭和天皇が重病だったものの、何らかの事情で生存が延びる
  • 平成は制定されず、昭和がそのまま継続
  • 記念硬貨も、我々とは異なる意図と年号で発行されていく
  • その世界の常識を持ったまま、何らかの理由で「彼」がこちら側に現れた

まるでSFのようだが、世界線が分岐しているとすれば、“彼”の行動すべてに説明がつく。


なぜ来たのか、どうやって来たのか──それは誰にもわからない

  • 偶然の時空の歪みだったのか
  • 寝ている間にこちらに移動してきたのか
  • それとも、記憶や本人だけが転移したのか

この謎は今も解明されていない。
ただ確かなのは、「昭和六十五年」という硬貨と、「使えると思った」という言葉が、この世界の常識とはズレていたという事実だけだ。

結論:「この事件は、世界線の綻びなのかもしれない」

表向きには「偽造硬貨による詐欺事件」として処理されたこの一件。
しかし、そこに登場した“存在しない年号の通貨”と、“使えると思った”という証言には、今も説明のつかない違和感が残されている。

それはまるで、この世界とは少しだけズレた別の現実──「昭和が続いていた世界」から何かが紛れ込んできたようにも思える。


時空の歪みは、すでに始まっているのかもしれない

理論物理学の世界では、世界が複数の「可能性」を持ち、それぞれが枝分かれして存在しているという「多世界解釈」が提唱されている。

その中で、“こちら側”と“あちら側”の世界線が、何らかの要因──たとえば極めて局所的な時空の歪み──によって重なり合い、一部が入れ替わることはあり得ない話ではない。


肉体か、あるいは精神か──知らずに移動している可能性

今回の事件が示すように、「自分ではおかしなことをしているという自覚がない」という状況は、非常に興味深い。

つまりそれは、

本人も気づかないうちに、“別の世界線”へ飛ばされてしまっていた

可能性を示唆しているのではないだろうか。

  • 移動したのは肉体そのものかもしれない
  • あるいは、精神・記憶だけがこの世界の身体に宿ったのかもしれない

そのメカニズムは誰にもわからない。
だが、そういった事象が“完全にあり得ない”と断言できる者もまた、いないのだ。

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