転職クエスト③-①:そして休職へ…!出版社WEB編集マン編
前回、ブラック編プロにて病み魔法ブラックデスマーチという致死レベルの攻撃を受け、身体も心も疲れ果てた私は、半年弱の無職期間を経て3社目へと転職を果たす。同業界の出版社である。しかし順風満帆に仕事をこなしていた私に、再び魔の手が忍び寄る。
小さな出版社にて再スタート!非正規だが気にしない
3社目の転職を探す上で最も重視したのは、『労働時間』。毎日終電なんてもうごめんであった。せめて平均的な勤務時間で帰りたい。だが前職の記事の執筆や編集作業は好きだったので、仕事内容次第は近しいことをやりたかった。(テレアポ100件はごめんだが。)
そこで辿り着いたのが出版社だった。当時全従業員30名強の小さな会社ではあったが、募集があったのでダメ元で応募してみた。すると非正規だが入社することができた。
非正規に対して友人や家族の避難は多かった。まず友人からはマウンティング、『非正規かかわいそう。』という軽口を叩かれた。親からは『正社員で探しなさい。』と、しかし私は自分で決めたことに対して何一つ後悔などしていなかった。
もちろん賞与や退職金など、正社員は収入の面で盤石なのは認める。だが様々な面で会社の為に融通を効かせなければいけないというのは、これまでの2社の経験から私の働き方にはあっていないと思っていたので、非正規でも問題なかった。
1社目(製菓メーカー営業)では、休日中もお構いなしに電話が掛かってきたし、状況によっては出社し解決しなければいけなかった。2社目(編プロ)では、それこそ休日すらほとんどなかったからだ。
『もしかして天職?』WEB編集部としてそつなくこなす
前職では紙媒体を主体とした出版物の制作を行っていたわけだが、この会社は独自のWEBサイトを持っており、紙よりもwebに力を入れていた。私が配属されたのもweb編集部であった。
何をしていたかというと、紙での記事をWEBへと変換、画像加工、過去の記事をリスティクル形式にして再発射、とある不動産紹介記事や他社サイトの記事をアレンジして自社サイトで公開、ウェブ独自の記事の編集など、前職のライター的な仕事よりも編集的な仕事を広くこなしていた。
紙と違いWEB記事は毎日が〆切のようなスケジュールではあったが、ある程度自分の裁量で先の分まで入稿、編集し公開設定をしておけば休めないこともなかった。(もちろん、大型連休前はその分の記事をストックしなければならないので大変ではあったが。)
記事数の増加と記事のクオリティーを高めていった結果、月間PVは斜め右肩上がりに伸びていった。前職は毎日がデスマーチであった為か、私この職場では余裕さえ感じていた。
もちろん非正規ではあった為、多少業務量をコントロールされていたことだろう。余談だが非正規でありながらも前職同等の給与は稼げていた。この頃『もしかして天職?』と思っていた。
余裕を見せていたらラスボスからの無茶ぶりスタート『業務量倍プッシュだ・・・』
そんな出来るオーラを放ち、少し天狗になっていた私に目をつけたのが社長(以下ラスボス)であった。入社から一年が経とうというある日のこと、『0から記事を作って欲しい。週に5本はマスト。』そう告げられた。驚いたことに単純に今までの業務量にプラスオンなのである。いきなり業務量が2倍近くになった感覚、『業務量倍プッシュだ・・・』。無茶ぶりスタート!
週に5本記事を作成するということは単純計算で一日一本だ。さらに自由に記事を作って良いわけではなく、会社の意向に沿った記事であり、週10本は企画案を出す必要があった。
この企画案をラスボスに話すのだが、『まるで駄目・・!!』とどのつまりボツばっかりであった。私の企画力の乏しさもあるが、ラスボスの判定基準は想像以上に厳しかった。記事を作ることよりも企画を出すことに時間を割かれていた。
ラスボスの攻撃に瀕死状態
肉体労働8時間もしんどいとは思うが、頭をフル回転させる知的労働8時間もきつい。一日中PCから発せられるブルーライトを浴び、さらに肉体的には疲れていないので、とにかく夜眠れない。
『明日はあの企画を考えないと。』『またボツだったらどうしよう。』と不安が頭から離れないのである。毎晩会社に行くことを考えると吐き気がしていた。この時点で私は瀕死状態であった。
ある時ついに企画案が追いつかなくなり、10個ではなく8個で提案したらラスボスからの怒号が響いた。『一つ一つの企画が甘い!PV取れる根拠が薄い。この中でぎりぎり使えそうなレベルでやっと2つくらい。明日新たに10個考え直してこい。』
とはいえ私も、ただ黙って叱られたわけではない。全力でやっていた。その上で自らの長所(編集作業)と短所(企画立案)を話し、作業時間が追いつかないことを説明したが、やはり社長という職種は『結果がすべて』の生き物だ。当然納得されることはなかった。
『結果がすべて』という感覚は当然、企業のトップに立つものであれば誰もが持ち合わせている感覚であろう。
なので私もラスボスの言っていることは痛いほどわかったし認める部分もあった。
だからこそ、だからこそ辛かったのだ。
己が能力の至らない点によって、ラスボスの期待に応えられなかった。
その責任はすべて私にあった。
であれば私の結論は、潔く『辞める』ことだった。しかし未練があった。
実際に辛いことから逃げるのは悪いことではないと思う。追い詰められて自殺するくらいなら辞めたほうがいい。
だが『やめて何をするのか?』『改善の余地はないのか?』ここが当時はっきりとしていなかった。
1社目、2社目も上記ははっきりとしていた。しかし当時はそんなことも考えられないほどに疲れきっていたのだ。
『もう無理、もうどうでもいいや。』そして休職へ・・・!
ラスボスの言葉を聞いて、もはやどうすることも出来ないと感じ、私の中で何かがプツンと切れた。『もう無理、もうどうでもいいや。』実は当時、大失恋をし私生活でもうまく行っておらず、非常に心が脆くなっていたこともある。
辞めるかどうするか一晩考えた挙句、とりあえず今の自分の精神状況はまともでないのではないかとふと思った。
次の日、一睡もせず朝イチで心療内科を受診すると、『うつ状態』の診断書をもらった。
そこには、”休職が必要”と書かれていた。心当たりはあったが、やはり私は病んでいた。
これを受け、すぐに退職という決断を出すということはせず、可能であるならば休職をし、熟考した上で結論を出そうと考えた。
私はそのまま出社すると、会社へ診断書を突き出し、事情を説明した。
幸いにも理解があり、即日で休職へと入ったのだった。