男女平等は不可能!日常にあふれる性差別に疑問を抱くべし
結論:男女平等は不可能
まず結論から言うと、男女平等は不可能だ。
その理由は、個々に根付いた価値観や考え方(偏見)を変えることは容易ではないから。ましてや全員となると机上の空論に過ぎない。
男女平等という価値観でさえも、一種の偏見にすぎないからだ。
さらに悪質なのが、日本では日常生活レベルでナチュラルに性差別が根付いているということ。
であったとしても、公平・平等に物事を考えられる事は、人として誠実であり人間関係を維持していく中で大切な事であると思い今回の記事作成にあたった。
変えられないものを悲観するのではなく、まずは自分が変わることで周囲に影響を与えられる人間が増えて欲しいと願う。
全ての人間関係に有効=パラダイムシフト
男女平等の思考において、最も有効的なのは、心理学でいうパラダイムシフト。
パラダイムシフトは一言でいえば、己の偏見(パラダイム)に囚われず(シフト)多様な考えを認めること。
「男(女)だから○○はダメ/良い/~すべき/許されるetc…」などを一つの偏見として認識し、その上で何が平等・公平であるのかという考える為の基盤になる。冷静で論理的かつ客観的であり中立的に物事を考えるのに必須だ。
これはなにも男女平等の話に限ったことではない。
例えば店員と客、上司と部下、友人、恋人・夫婦・親子関係等、あらゆる人間関係において最も重要であると私は考える。
何か自分と異なる意見を言われた時や想定していた態度と違った時に、カッとなるのではなく、「そういう意見もあるよね」「そういう理由があったのね」と受け止める理解力が備わるだろう。
相手の立場になって考えるという思考もパラダイムシフトならば身につく。
また、常識や世間体といった思考停止状態の社会通念に対して、一種の偏見あるいは都合の良い洗脳ではないかという疑いの念を持つことも可能だろう。
ちなみにこのサイト名であるオールダウト(ALL DOUBT:全てを疑う)の意味合いもパラダイムシフトが根底にある。「それっておかしくない?」のそれとは周りだけでなく自分にも適用されるのだ。
差別という認識すらない?日常生活に溢れるナチュラルな性差別
「男だから~」「女だから~」を理由にしているのは全て性差別である。
性差別をなくす=男女平等なのである。周りは変えられなくとも、自分の意識を変えることは出来る。世間体や周りの意見に流されず、常に疑問を持とう。
ここでは、日常生活に溢れるナチュラルな性差別を紹介しよう。
「男だったら泣くな。女々しい。」「男だったら女に奢って当然。」
「男は黒髪、スーツ着用。」「男ならはっきりしろ。」
「女が家事・子育てを担って当然。」「女だったら化粧くらいしろ。」
「女の幸せは結婚すること。」「女子力低いね」
これらはすべて、男女逆にしたら違和感があるものが多い。
耳にしたら「性差別乙!」と大声でいってやりたい。
このように性差別は、男女それぞれに日常的にありふれており、生きにくい世の中にしているのである。「こうあって欲しい」という異性への理想像や願望であれば問題ないが、「こうでないとダメ」という価値観の押し付けが問題点なのである。
性差別を行う人間は己の偏見に囚われ、常識というの名の歪んだ思考が染み付いており、洗脳、いや刷り込みと言うべきか、性差別をしている認識すらなく悪気もなく正しい事と思い込んでいるのである。
ちなみに女性だから残業頼まない・重い荷物を持たせないというのも好意的性差別と言われている。気遣っているようで下に見られているの注意しよう。
男性優遇、女性優遇
性別によってどちらかを優遇するということは、裏を返せばどちらかに不遇があるということなのだ。
例えば男性優遇(女性不遇)では、企業の雇用・昇進。こういった企業は、育休や産休制度がない場合や女性役員がいない場合が多いので、見極めてから入社するべき。
例えば女性優遇(男性不遇)では、レディーズデイや女性専用車両、マッチングアプリ等の女性のみ入会費無料。電車はさておき、「利用しない」が正解だ。 一般職や事務職に女性が多いのも女性優遇であり男性差別なのである。
ちなみに度々偏った考えのフェミニストが批判されるのは、女性優遇や男性差別に対しては何も声をあげない為である。女であることで損をする事は許さないが、女だけ得をする事はどんどん広がって欲しいのだ。(逆は許さない。) 男損女肥思想は不平等で不公平なのである。
結婚生活における男女差別、役割の押し付け
結婚生活では、男は外で働くもの/女は家事・育児 という偏見が多くの人に存在している。性別による役割の押し付けが行われているのである。
男だから外で大黒柱として働かなければならない、女だから家事・育児を任されなければならないという偏見に囚われず、共働きも多い今では、以下が平等・公平であり理想ではないだろうか。
①どちらも同じ時間(≠同じ賃金)働いている場合
家事・育児の負担半々。あくまで時間なので、稼ぎの良いほうが楽をするという考えは不平等であり不公平。
②一方が労働、一方が専業主婦(専業主夫)の場合
この場合は、 家事・育児を主に担当するのは 専業主婦(専業主夫)であろう。もちろん、働いている方も家事・育児に積極的に参加すべきだ。ここで言ってはいけない事は「専業(会社勤め)は楽でいいね。」と相手を侮蔑すること。また、「専業主婦はいいけど専業主夫はありえない」という考えも性差別なので注意すべき。
③一方が仕事、一方が兼業主婦(兼業主夫)の場合
兼業主婦(兼業主夫)と記す場合、①と区別しフルタイムではないパート勤務を示す。②の状況よりも兼業側に時間はないわけで、フルタイムで働いている方も、より家事・育児により積極的に参加すべきだろう。
★家事はほどほどに手抜きで良い。育児はしっかり。
ここはあくまで個人的な意見ではあるが、専業であっても家事を完璧にこなすことはしないで良いと思っている。ほどほどに手を抜いて良いではないか。毎日張り詰めていたら疲れてしまうだろう。一日二日掃除をしなきゃ死ぬのか?市販の弁当や惣菜だと死ぬのか?
むしろ育児に力を入れるべきだと思っている。とくに未就学児。3歳までに人格形成に大きな影響を与えるとも言われているので、完璧でなくともしっかりと愛情をもって育てるべきだろう。ネグレクトや虐待は間違ってもしてはいけない。
たまにはベビーシッターなどを頼み、息抜きをする時間も必要だろう。
また、就学後もべったりというのは過保護やモンスターペアレントに繋がるので、程ほどに成長を見守りつつ、時に悪事を働いた時には怒るではなく叱るというが親の役割であり責任ではないかと思う。
最後に
まだまだ書きたいことはあるが、スッキリしてきたのでこの辺で終わりにしよう。完全に自己満足である。
ごちゃごちゃ書いたが、男女関係なく誰に対しても平等で公平な扱いをする人間が増えて欲しいと思っている。なんなら義務教育で悪しき慣習や価値観に囚われない思考能力を教育してほしいくらいだ。
少なくとも自分自身は誠実な人間でいたいと私は思う。