うつ休職雑記④︰心療内科は信用ないか?薬漬けになればただの金づる

うつ休職雑記④︰心療内科は信用ないか?薬漬けになればただの金づる

希死念慮に囚われ、自殺未遂をした後の話。

この頃には既に、このまま心療内科に通院していても寛解は見込めないのではと疑っていた。

心療内科医もカウンセラーも、会うだけ時間の無駄

休職中、条件として週一のペースで心療内科への通院を余儀なくされていた私。

よく「どんな辛いことも話せば楽になる。」と聞くが、私の場合そんなことはなかった。その場しのぎの気休め程度にはなるかもしれない。しかし、根本的な解決になどならないのだ。赤の他人に、いや親しい人間にさえ自分の辛い状況を話したところで、理解なんてされるはずがなかった。自分以外に理解できる人間なんて存在するはずもなかったのだ。

通院していた心療内科の先生は、高い診察料を取っておきながらほんの数分の、いつも機械的な、マニュアル的なことしか聞かない。

「調子はどう?」「寝れてる?」「気分は晴れてきましたか?」

なんだこれは。毎度毎度同じ事を聞かれて、そんなすぐに改善すると思っているのか。

カウンセラーも役立たずだ。こちらも高額なカウンセリング料を取っておきながら、その実当たり前の、当たり障りのないことしかいってない。

気分転換をどんどんしましょう、なんて言われたが、間違っている。

仮に一時的に気分が晴れたとしても、根本(考え方)を変えなければ現状維持でしかない。

まぁ裏を返せば、彼らは言葉に気をつけているのかもしれない。自分の言葉で患者が自殺でもしたら責任を感じて自分自身が病んでしまうからだろう。

しかし、私から言わせれば、彼らの言葉を聞く時間がならば、心理学の本を一冊読破したほうが金も効果も十分に得られる。

もっと具体的な、「現状の何がダメで、どういう考え方をすればこの病んだ心は治るのか」というのをご教授いただきたかったものだ。

そもそも、完全に個人的な恨みだが、私は愛する人を医者に奪われたのだ。当時は「医者なんて糞だ!」という思いは人一倍強かっただろう。

休職の条件に通院がなかったら、私は決して顔を出すことはなかったろう。

薬依存 = 病院の金づる

そもそも、毎回やたら多種類の薬を出される。(もちろん高額。)

私の場合、8種類くらい飲まされていただろうか。もう薬だけで毎回バッグもおなかもパンパンになっていた。

あれだけ飲んでいれば、常人ならばプラシーボ効果が働き、さも効いているかのように錯覚してしまうことだろう。

しかし、人間の身体はどんな薬でも耐性が出来てしまう。最初は少量でもよかったのに、時間が経つにつれ、より強力でより大量の薬を求めてしまう。

薬依存だ。そうなったらもう、薬を求めて通院する、病院の金づるでしかない。(実際私もそうだった。)

たしかに、うつ病あるいはうつ状態であれば、不眠症を患っている方が多いと思う。ある意味ここが一番辛いところかもしれない。

睡眠導入剤を頓服すれば、ある程度寝つきもよくなることだろう。しかし睡眠導入剤程度ならば、市販でも個人輸入でも購入できるサイトは腐るほどあるし、それらの方が安上がりだ。あえて時間とお金をかけてまで薬の為に通院するまでの理由にはならない。

こと精神安定剤について言うならば、依存するくらいならば、飲まないほうがマシだ。

他の通院患者を観察してみた

とある日、自分以外の通院患者を観察してみた。

今の時代、サラリーマンから学生、主婦に至るまで実に幅広い年齢層が通院していることに気付いた。

不安そうできょろきょろと周りを見渡す挙動不審な人物もいれば、常に貧乏ゆすりをして落ち着きがない人、独り言をぶつぶついう人間もいれば、態度が悪く怒っている人物、ずっと下を向いている人や、受付に文句を言っている輩までいた。

もちろん、ほとんどの方は一見すると”病んでいる”とはわかりにくい人たちばかりだった。中には、病んでいることを演じている人や、「私ってかわいそうでしょ」と人に心配されたいだけなんじゃないかと思う人も多かった。

なおこれは全て私の推測であり、当人たちと話したわけではないので、完全に偏見であるが。

通院してればいつかはよくなる、という考えは、こと精神疾患においては当てはまらないと思っている。歯医者で虫歯を治したり、外科で骨折を治したりとはわけが違うのだ。

“考えることさえ出来ない状態”の時はまだしも、今の”自分自身の状況を冷静に分析出来る”状況に自ら到達しなければならない。

受動的な考えではいつまで経っても治らない、それが精神疾患ではないだろうか。

自殺未遂をした話をしてみると

自殺未遂をした話をある時病院でしてみた。自発的にしたというよりは、目の異常な充血と首の縄の跡で感づかれてしまったのだが。

彼らは起きた事実に対して、決して否定はせず、「辛かったね」と共感しなだめられたが、「同情するなら殺してくれ!」という思いでいっぱいだった。ここに来ても彼らは、およそ一般的な反応しか見せなかったので(というか面倒くさいと思っているのだろう)、正直ここで私の症状が良くなることはないのだろうと悟っていた。事実、通院していて自殺未遂をしたと言うことは、悪化しているともとれるのだから。

さらに「縄をすぐ捨てろ」と言われたが、当時の私にとっては、「いつでも死ねる」という物理的な凶器が、心の安定には欠かせないものであった。

そうはいっても、一度身体に刻まれた”死への恐怖“は、取り除かれることはなく、再び実行することはしばらくないと悟っていたのだが。

かくして、私は心療内科に頼ることは止め、己の力で症状を改善していこうと決心した。そこで辿り着いたのが心理学の本を読み漁ること。

次回より、心理学を学んだ私の心境変化について語る。

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